フィギュア愛好家、カンボジアなう!

英語ができないのに海外赴任した人のブログ。カンボジアの生活や食事のこと、フィギュアのこと、本のこと。

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2日目:昼

      2016/01/24

雲もまばらな平日の正午、とあるマンションから2つの人影が人もまばらな通りに姿を表わす。
一人は、脚を隠すような丈の長いスカートにデニム生地のベスト、うちに着た淡桃のTシャツの柄は彼女の豊満な胸部により歪んでいる。
もう一人はワンピースにパンプス、リボンの付いたつばの広い帽子。それらは全て例外なく黒く染め抜かれていた。
一陣の風が吹いて、彼女たちの長い髪を揺らす。
「いい天気だけど、ちょっと風が強いわね……」
ロングスカートを風に揺らせて芳乃が呟く。
「ヨルちゃんのマントって便利ね。自由に形を変えられて、いろんな服になるんだもの」
「……マントじゃない。コレは私自身の体の一部。形がないからどんな形にでも出来る」
芳乃に言葉を返すヨルの顔は帽子ですっかり隠れていた。
「へぇ……。でも、とにかく助かったわ。裸にマントで人がいるところに行ったら、いろいろ大変だし」
「一応、そのあたりは分かっているわ。人間の近くで長いこと暮らしているから」
「そうなんだ……。今までのことも聞きたいけど、それは向こうでお茶しながらにしよっか。さ、行こう。付いてきて」
「え、ちょ、ちょっとっ」
マンション前の通り沿いを進もうとする芳乃を今まで聞いたことのない声色でヨルが呼び止める。
「えっ?……どうしたの?」
「車、通るでしょ?」
ヨルは車道を指して言った。
「まぁ、そうだけど……」
「ちょっと、車、その……苦手なのよ。他の道にしてほしい」
帽子のつばでヨルの顔を見る事はできないが、その言葉の響きがその真摯さを裏付けていた。
しばし、呆気にとられていた芳乃だったが、その不自然なほどのギャップが彼女の口元を緩ませた。
初めて会った時から時分とは次元の違うとてつもない何か、そんな印象を芳乃はヨルに抱いていた。
しかし、今日はその印象はことごとく崩れている。否、崩れているのではない、その強さのまま可愛らしく彩られた、と表現が正しいだろう。
まるで黒く雄々しくそびえ立つ黒曜石のモノリスに可愛らしいシールやリボンでデコレーションが施されるように。
「他の道、ね……」
黒い少女は車の通らない道を望んでいるが、他の道はあるだろうか?
存在しないことはないが、それは裏路地などの治安が良いとは断言できない道だ。
彼女と一緒であれば身の安全は保証されているものだろうが、あの日のような光景をこんな日に見たいとは思わない。
思案しているところにタクシーが前の道を通り抜けると同時に、ヨルは芳乃を盾にするかのように彼女の比較的大柄な体の後ろに隠れた。
「本当に苦手なのね……。あっ」
芳乃はしゃがみこんでヨルと視線を並ばせた。
「ねぇ、車に乗るのは大丈夫?」
「……わからない」
黒い少女は視線を合わせること無く、呟くように答える。
「んー……試してみましょっか」
そう言って肩にかけているバッグから携帯端末を取り出し、タクシー会社に電話する。
すると先ほど通り過ぎたタクシーが芳乃達の目の前で止まり、ドアを開けた。
芳乃は先に後部座席に乗り込むと、距離を位置を変えず佇むヨルに手招きをする。
黒い少女はおずおずと近づいてきて、ちょこんと芳乃の隣りに座った。
部座席のドアが静かに閉まった。
「運転手さん」
運転席と後部座席を仕切る透明なアクリルボードの穴の開いた部分に向けて芳乃が言葉を続ける。
「変なお願いですけど、ちょっと丁寧に、ゆっくりめに運転してくれませんか?……この子、昔、事故にあって、それから自動車が苦手なんです」
「……わかりました。行き先は第二商業区3-1でよろしいですね?」
「はい、お願いします」
運転手は芳乃の返事を受けて車体を動かし始めた。
芳乃は身体を背もたれに預けると、隣に視線を移す。
悠々飄々堂々とした雰囲気の黒い少女はまるで小さな岩石のようだった。
「……」
そんなヨルに芳乃は身体を寄せてき、左腕でヨルを自分に身体を預けさせるように寄せた。豊満な胸部がヨルの頭を支える。
「大丈夫、大丈夫」
そう言いながら芳乃はヨルの頭をぽんぽんと優しく叩く。
ヨルは無言だったが、その雰囲気は少し和らいだようだった。
そんな柔らかな時間が風景とともに過ぎて、目的地に到着する。
芳乃は運転席と助手席の間にある読み取り機器に携帯端末をかざした後、指紋認証のパネルに薬指、中指、小指を当てる。
すると無機質な声で「お支払い完了いたしました。ご利用ありがとうございます」とアナウンスが流れ、ドアが開かれる。
運転手に簡単に礼を言った芳乃はヨルに急かされるようにショッピングビルに入っていった。

「久々に誰かと過ごす休みだわぁ」
芳乃はニコニコと誰にいうでも無く言う。
ヨルはそんな芳乃に視線だけわずかに向けて、不格好に持ったフォークで眼前のほうれん草やちりめんじゃこののったパスタを口に持っていく。
ここは中心区近くにある最近リニューアルされたらしい地上20階・地下3階の大規模ショッピングビルの18階にテナントを構える人気のパスタ専門店である。
平日のせいか閑散としており、暇そうなウェイターの一人しか見られない。
「ヨルちゃん、パスタはこうすると食べやすいよ」
芳乃はそう言って、たっぷりとミートソースを掛けられたパスタの山にフォークを突き刺し、回してまとめ、口内に運ぶ。
「んっふふ。やっぱおいしーわぁ。しあわせー」
食いしん坊の笑みを浮かべて芳乃は感嘆の声を漏らす。
「量の割に安いし、ここお気に入りなの!」
「……見た目以上に大食らいなのね」
ヨルは呆れ声で炭水化物の山を平らげる女への感想を呟く。
「ん、んぐ。……よく言われる。昔から基礎代謝が良いのかな?たくさん食べてもあんまり太らないの」
ミートソースで唇を汚しながら芳乃は自慢気に答える。
「……ごちそうさま」
幸せそうな顔を浮かべて食欲を満たす喜びを噛みしめる芳乃を尻目にヨルは食べ終わり、紙ナプキンで淑女のように唇を拭った。
「紅茶、頼んでいいかしら」
ちょうど口にパスタを含んでいた芳乃は頷いて承諾の意を示し、そのまま呼び鈴を鳴らす。
ウェイターがヨルの紅茶を持ってくる頃には、芳乃も綺麗に特盛りミートソースパスタを平らげ、ウェイターにメロンソーダを注文した。
ヨルは目の前に置かれた紅茶のカップを唇まで持って行くが、僅かに眉を釣り上げると一口も含まずにカップを置いて、食欲を満たして満足気な芳乃に言の葉を向ける。
「さっきは何でわかったの?」
「……何のこと……?」
ピースの足りない問を呑み込めない芳乃は首を傾げて問い返す。
「車の中で言った私の事故のこと、よ」
「ああ、適当に相手が納得しそうなこと言っただけなんだけど……。もしかして、当たってた?」
「……ええ、ずっとずっと昔の話よ」
僅かに眉間に皺を寄せたヨルは薄い山吹色の湖面を眺めながら呟いた。
「ヨルちゃんが車に轢かれるなんて想像もつかないけど……」
「私が私の肉の体を持っていた時の話。100年以上も前の話」
「……猫、だったころ?」
「普通の猫でもなかったけどね。それでも、始めて見た車を前でも動けずに轢き殺されたけどね」
「え……?えと、それから……。それからどうなったの?」
予期しない黒い少女の言葉に芳乃は戸惑ったが、フィクションのようなノンフィクションの続きをねだった。
殺されたと言った彼女は目の前に居ることと、好奇心が不謹慎と思う気持ちをもみ消した。
「私がいた街の人たちには可愛がってもらっていたから、腐る前に埋葬されたわ。そしてひと気が無くなった深夜には街の猫たちが集まってくれていた。猫たちは近くにいる体のない私に気づいていたけどね。……畜生としては良い生が送れたと思うわ。その後、ふと気づいたら暗い場所にいた。白い骨の仮面、黒いマント、そして大鎌。人間がよくイメージする死神の姿になっていた。それからは単調な日々だった、と思う。その間のことはあまり覚えてないの。あの仮面は私達の心を抑えつけて、死神の上の奴らの命令通りに働かせるから」
「じゃあ、ヨルちゃんはやっぱり死神、というやつなの?」
「違う」
フォルテの掛かった声色で黒い少女は言った。
「違うわ。元死神よ。今はただの悪霊、ね」
少女はガラスの向こうの景色に視線を移して答えた。
人を殺め、人の体にとり憑いて意のままにしている。そして、あの禍々しい不吉な臭いは悪霊と呼ばれるのにふさわしい。
しかし、目の前の自称悪霊はそんな単純な存在ではない。芳乃は不思議とそう感じていた。悪霊と呼ばれるものが自分を助け、自分と自分の髪を好きと言い、こうしてパスタを一緒に食べるだろうか。
「私、貴女のこと、まだよく知らないけど……、多分、悪霊なんて悪いものじゃないと思うわ」
ヨルは芳乃の顔をしばし見つめると、目を伏して「そう」と短く返した。
「いつも路地裏であんな風に、その、人を……?」
「いつもじゃないわ。あそこで狩るのはノルマに余裕が欲しい時や足りない時だけよ」
「ノルマ……?それが前に言ってた死神の仕事?というか、ヨルちゃんってもう死神……じゃないのよね?何で死神の仕事をしているの?」
「死神の数が足りないそうよ。だから条件付きで手伝っているのよ」
「ふーん……。条件って?」
メロンソーダに乗ったアイスを頬ばる芳乃は無意識に問うが、ヨルは視線を逸し逡巡の後に無機質に「知る必要がないこと」と言った。
「え、あ、っと、それじゃあ、普段はどうやってノルマを稼いでるの?」
始めての回答の拒否でうろたえる芳乃だったが、畏怖を覆い隠す好奇心と親近感がさらなる質問をさせる。
「……死を望まれている者、いなくなっても差し支えのない者、無駄に延命されている者。そういった人間を見つけたら教えてくれるように、この街中の猫達にお願いしてある」
その言葉を聞いてヨルは週刊誌や日頃のニュースなどの内容とヨルの言葉が結びついてしまった。
囚人の謎の突然死、病院で起こる医療機器の故障による死亡事故、TVでよく聞く”住所不定無職”というフレーズ。もしかすると、そのほとんどの原因は目の前の黒髪の少女だと思うと背筋を冷たい指で撫でられるようだった。
「……怖い?」
「えっ。そんなこと無いけど……」
黒い少女の黄金の瞳で透視された彼女の思考は動揺を隠し切れない。
「心配しなくて良いわ。理由もなく殺したりしない。時間も相手も十分いるのだから」
「じゃあ、私を助けてくれたのは本当に偶然……だったの?」
「ええ、近くを通りかかったら貴女が襲われそうだったから」
「でも、私は……殺さなかったよね。ノルマのためなら別に殺されてもおかしくはなかったと思ったんだけど」
「私はさっき言ったような人間以外は、他人から奪うことしか考えていないようなのしか狩らないわ。だって」
ほんの一瞬、その一言の瞬間に、無機質な表情に優しいの花が添えられた。
「いつの日か私のテオを生き返らせた時、彼にとって優しい世界であって欲しいの」
無表情の黒い少女が慈愛たっぷりに奏でたその言葉は、芳乃にとってはまるで暴風のようで彼女の心の中を一瞬吹き飛ばした。
「……どうしたの?」
呆けた顔で沈黙とともに自身の顔を眺める芳乃に違和感を感じたヨルが尋ねた。
「あ、ううん。なんでもない。何でもない。……本当に、あの金髪の子が好きなのね」
「ええ。私の雄は彼以外、ありえないわ」
目を伏せて琥珀色のグラスを眺めながら呟く少女からは強かさすら感じさせる愛情が溢れていた。
「ね、ねぇ……。ヨルちゃん」
「申し訳ございません、お客様。当店のランチタイムは15時までの営業となっておりまして……」
芳乃の紡ぎかけた言葉はウェイターの事務的に断ち切られた。
彼女の思いを宙に浮かせたままに。

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