フィギュア愛好家、カンボジアなう!

英語ができないのに海外赴任した人のブログ。カンボジアの生活や食事のこと、フィギュアのこと、本のこと。

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5日目:朝

      2016/01/24

居住区の一角にあるよくある鉄筋コンクリートで作られた無個性なマンション。
その5階の角の部屋のリビングの隅に漆黒のハンモックに身を預けた黒髪の少女が静かに平らな胸をゆったりした呼吸が動かしていた。
リビングと続いているキッチンからはフライパンの上で油がはしゃぐ音やリズミカルな包丁の音が優しく響く。
キッチンには窮屈そうにTシャツをまとった巨体の男がその大きな手で調理に勤しんでいた。その右手は黒い何かで覆われ、首には似合わない赤いチョーカー。
不揃いな皿に玉子焼きやベーコン、キャベツの千切りが盛りつけられ空腹を誘う芳香が漂う。
巨体の男は出来上がったプレートをリビングのテーブルへ運ぶと、穏やかな寝顔の黒い少女に声をかけた。
「ボス、朝飯です。もうすぐトーストも焼けます」
その声を聞くや、少女は”なあぁー”と猫のような声を上げて、大きく四肢を伸ばして、ハンモックから降りる。
漆黒のハンモックは彼女が離れると瞬く間に解け、少女の身体に絡まりマントへと形を変えた。
「おはよう」
「おはようございます。ボス」
オーガスタスと呼ばれた巨体の男はその毛髪のない頭を深々と下げた。
「そこまでしなくていいわよ。意味が無い」
「は、はぁ……」
黒い少女はソファに身を預けるといつもの変わらない様子で眼前の匂いを味わう。
「料理、できるのね。意外」
「簡単なものしか出来ませんが」
そう返すとオーガスタスはトーストを取りにキッチンへ向かう。そのトーストも過不足のない食欲を誘うきつね色をしていた。
「調度いい焼き加減。それが出来るだけで上出来よ」
黒い少女はそういうとプレートに添えられたフォークで、一口大にわけられた玉子焼きを口に運ぶ。その口元はどこか満足気だ。
2枚のトーストとマーガリンを運んできたオーガスタスは床に腰を降ろし、黒い少女へむけて言葉を紡ぎかけた時、女の叫び声が隣の寝室から部屋中に響いた。
「な、ななな、なにこれ!なに、これ!髪、私の髪っ!!!」
その声にあぐらをかいて座るオーガスタスは困惑の面持ちだが、黒い少女は変わらず静としていた。
出し抜けに引き戸が開かれると薄手の寝間着を羽織った豊満な体付きの女性が姿を現す。
「ヨ、ヨルちゃんっ!私の髪が!!」
驚愕を隠すことのないその女性の後ろ髪は首元のあたりで不自然なほどに綺麗に切りそろえられていた。
そして、その瞳は淡々と食事をとるヨルの後頭部から、ヨルと共に朝食をとるオーガスタスへ移る。
「って、誰?!何で私の部屋にっ??」
にわかに眉間にシワを寄せたヨルはフォークを置くと、ソファの上に立ち上がり、芳乃と視線を揃えた。
「ヨシノ、昨日のこと、思い出しなさい」
ヨルは顎を上げて自身の首を見せつける。そこは赤く変色していた。
「その痣……っ!あ、ああっ、そう、昨日……!」
理性から外れた声とともに芳乃は昨晩の記憶を取り戻していく。
その芳乃が間の抜けた顔をヨルは、その額をめがけて殴りつける。不意打ちにも似た一撃で芳乃はバランスを崩して大きく尻もちをつく。
「いたた……、何するのよ……」
「昨日のこと、まだ思い出しきれてないの?人の身体に痣をつけてこれだけで済んでるのよ。感謝なさい」
「それは、その……。へ?」
倒れこんだままの芳乃は言葉を紡ごうとした時、視界に自分の拳が何故か映った。
それは自身の額を打ち据える。
「ふぎゃっっ!」
『……これは私の分だ。私の長年の苦労が無為に……、いや、もうかなりの年月が無駄になったが……』
「それは自分の責任でもあるでしょう?貸していた力を手繰られて、自分の力の全てを奪われるなんて、まるで老犬ね?」
『……言うな。流石に反省しておるよ。今までそんなことがなかったからといって油断するべきではないな』
ため息混じりの落ち窪んだ意識の声で永綱は呟いた。
『さて、芳乃よ。儂らに何かいうことはないか……?』
「そ、そうね……」
芳乃は鼻と額を赤くしてヨルの前に立つ。
「ごめんなさい!何か私も途中からわけわかんなくなっちゃって、本当はあんなことしたかったわけじゃなくて……」
深々と頭を下げて言った。
「いいわ、もう私の気は済んだし。それにいきなり大きな力を持ったら箍が外れることも少なくない」
ふい、と顔を逸らしてヨルは言った。
「うん、ありがとう。永綱もごめんね」
涙目の芳乃は眼を伏せて自分の中の犬神に語りかける。
『……今回は儂の油断があったからな。少しは儂にも否がある。……それに今後はこんなことは起きないしな……』
ため息混じりの低い声がヨルと芳乃に響く。
「そうね。飼い主の許しもなしに、力を使うことは出来ないからね」
「か、飼い主……?」
黒い少女の発言とともに、気落ちした犬神の気配の気配が伝わってくる。
眼前の黒い少女は口角をわずかに上げて、自分の首を横方向にふるふると指をさす。
芳乃は逡巡していたが、察して自身の首元に手をやる。
今まで目の前のことに意識が向かっていたため気付かなかったが、そこにはチョーカーのようなもの。よく触ってみるとその形は首輪のように感じられた。
「赤い首輪、似合ってるわよ。ヨシノ。これで貴女は私のペット」
「……お、おぅ?」
「貴女のこと嫌いじゃないから、飽きるまでは一緒に居てあげていいわ」
黒い少女はソファの背もたれの上に立って、芳乃を見下ろしながら言った。
その顔はどことなく楽しげだった。

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